(映像の目次)

0:00 京都御苑の全景(京都御苑情報館内の京都御苑全体を再現したジオラマ模型)
03:05 京都御苑の紅葉 

★こちらもご覧ください。こちらは御所内参観映像も含みます。
京都御苑の紅葉と京都御所の参観 2023.12.02

京都御苑は京都府京都市上京区にある環境省所管の御苑であり、京都御所の周囲の緑地で旧公家町の一帯を指します。

 京都市の中心部に位置し、東西南北を寺町通・烏丸通・丸太町通・今出川通に区切られ、東西約700m、南北約1300mの範囲で、総面積は92ヘクタールあります。その内、環境省が管理する国民公園である京都御苑は65ヘクタール。江戸時代から遺る9ヶ所の外周御門と6ヶ所の切り通しを持ちます。

 明治の東京奠都の際、公家町として御所を囲んでいた公家屋敷の大半が引越し廃れてしまったため、その荒廃ぶりを悲しんだ明治天皇の命により緑化を行い住民憩いの場としました。150あった宮家と公家の邸宅が撤去されて皇宮付属地として整備され、戦後、国民公園となりました。

 多くの木々が生い茂る公園内には、京都御所、京都仙洞御所、京都大宮御所、宮内庁京都事務所、皇宮警察本部京都護衛署などの宮内庁・皇宮警察関連の施設をはじめ、公家屋敷の遺構、公園の管理を行う環境省京都御苑管理事務所の他、一般社団法人国民公園協会が管理を行うグラウンドやテニスコートに各休憩所、資料館、レストラン、カフェ、土産店、大型駐車場などもあり、市民の憩いの場になっています。

(京都御苑の歴史)

 京都御苑の歴史は明治時代に始まりますが、御苑の中心をなす京都御所の禁裏としての歴史は平安時代の土御門内裏(東洞院土御門内裏)にまでさかのぼることがます。その後、歴代の天皇がここを御所としたのは、明徳3年(1392年)に南北朝が合一した際、土御門内裏が正式な御所として確認されて以降、明治に至るまで。この間の500数十年、建物は何度も火災で焼失するなど幾多の盛衰があり、特に室町時代から戦国時代にかけては見る影もなく荒れ果てました。

 これらの修築、再建を始めたのは上洛してきた織田信長で、この時代に内裏はかなり大規模な建造が行われました。続く豊臣秀吉の時代には修造のみならず内裏周辺の整備にも力が入れられました。天正年間、秀吉は大規模な都市改造の一環として堂上公家をあまねく禁裏(御所)周辺に移住させました。ただし、近年の研究では公家の集住政策は織田信長から引き継いだもので京都の改造とは直接的な関係はないこと、新家の設立による土地不足や経済的な問題によって全ての堂上公家がこの地域に住めた訳ではなかったことも指摘されています。

 このように、市内の町々に混在していた多くの公家屋敷が禁裏御所を中心に集められて公家町を形成し、江戸時代には御料など所領の策定がなされて、仙洞御所や女院御所など、殿舎が充実するに至りましたが、現在の京都御苑と比べるとまだ随分と狭いものでした。た。

 その後、これら公家町の拡張整備のきっかけとなったのが京都の中心部を焼失させた宝永5年の大火(1708年)です。この火災によって内裏をはじめとした諸御所や公家屋敷78軒のみならず、大名屋敷24軒のほか、禁裏役人の役屋敷などをことごとく焼失しました。

 大火後の復興にあたり、丸太町通以北、烏丸通以東に食い込んでいた町家区域を立ち退かせて、その跡地を公卿らに分与し、現在の京都御苑の原型となるような区画が整えられました。ただし、四方の大通りに面して9つの門を配し、それらを石垣でつないで周囲に巡らせた、現在見られるような整然とした矩形に整備されるのは明治に入ってからになります。

 明治になると明治天皇に従って多くの公家が東京へ移り、華族制度の発足と共に全ての華族の東京移住が義務付けられたことで、公家屋敷はもぬけの殻となり、京都御所周辺は急速に荒廃していった。この状況を憂慮した岩倉具視は、旧慣保存のためにもなることを理由に明治10年(1877年)、御所の保存を建議しました。

 これを受けて京都府は御所を囲む火除け地を確保することを目的に、軒を連ねる旧公家屋敷の空家の撤去と跡地の整備を開始ました。これが、京都御苑の始まりです。

 当初は周囲の土塁と堀を整備するにとどまったが、その後も整備は徐々に進められ、明治16年(1883年)に御苑の管理が京都府から宮内省に移管され後も続けられました。大正天皇の大礼が京都御所で行われることになると整備は急進展を見せ、建礼門前大通に大規模な改修工事が施されてほぼ現在の姿になりました。

 戦後、宮内省が解体されると、昭和24年(1949年)には厚生省の管理運営のもと御苑は国民公園となりました。

 昭和46年(1971年)に各省庁で環境や公害に関係する部署を統合して環境庁が創設されることになると、厚生省の大臣官房国立公園部も環境庁に移ることになり、これに伴い御苑も同庁の所轄となりました。これが環境省に引き継がれて今日に至っています。

(京都御苑の自然)

 京都御苑内には500種以上の植物があり、苑内には約10万本の樹木が生育しており、多くは明治以降に植栽されたもの。マツ、ケヤキ、シイ・カシ類、イチョウなどのほか、ウメ、モモ、サクラ、サルスベリなどの花の咲く木も多く、これら多彩な樹々が御苑の風格と四季の彩りをなしています。また、スミレ、タンポポどの草花やキノコ類も多く見られる。キノコ類は400種以上が確認されており、一年を通じて観察できます。

 苑内には動物も多く見られます。野鳥の観測地として知られ、100種以上の野鳥が確認され、そのうち約20種は苑内で繁殖されている。代表的な鳥としてはアオバト、ビンズイ、トラツグミ、ゴイサギなどがあげられます。昆虫類も多く見られ、チョウ類55種、トンボ類26種、セミ類8種などが確認できます。

 なお、公園内は京都府警や皇宮警察が常に見回りをしていて、京都御所や仙洞御所の塀に近づくとセンサーが反応し、すぐに注意されます。

(京都御苑を代表する催事)

葵祭と時代祭

葵祭(あおいまつり、正式には賀茂祭)は、京都市の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)で、5月15日(陰暦四月の中の酉の日)に行なわれる例祭です。催事は京都御苑の建礼門前大通りから出発地点となります(午後1時)。

時代祭(じだいまつり)は、平安神宮の例大祭(10月22日)に附属する行事。神宮創建と平安遷都を祝して明治時代より始められた京都三大祭りの一つ。催事は京都御苑の建礼門前大通りから出発地点となります。